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オーストリア・スロヴァキア・ハンガリーの旅

旅行期間:2012年9月 7泊8日

​旅のキーワード:カフェ、美術館、ドナウ川下り、古城ホテル、建築

1日目:成田→ヘルシンキ→ウィーン

2日目:ウィーン

3日目:ウィーン

4日目:ウィーン→メルク→デュルンシュタイン

5日目:デュルンシュタイン→ウィーン→ブラチスラヴァ

6日目:ブラチスラヴァ→ブダペスト

7日目:ブダペスト

​8日目:ブダペスト→成田

オーストリア・スロヴァキア・ハンガリー旅行1日目 成田 → ヘルシンキ → ウィーン

1日目
フィンエアー

 出だしから躓くところだった。

 余裕をもって家を出たはずが、空港行きのバスに乗ったのは、発車一分前。

 冷や汗かきながら成田空港に到着すると、タレントの出川哲郎が普通に、いや普通以上に寛ぎながらロビーに座っていた。

 やはりお笑い芸人続けるにはあれくらい周囲を気にしない大胆さが必要なのか、続けるうちに養われたのか、何れにしろ、ちょっと彼を見直してしまった。

 

 計らずも家族旅行となった今回の旅がどうなるのか、ワクワクしながらゲートへ向かう。

 家族旅行といっても、経由地のフィンランドまでは1人。母と妹とは乗り継ぎ便で合流予定、もう一人の妹は現地に前乗りすることになっている。

旅への期待に胸を膨らませているのはみんな同じ。搭乗すると、早速窓から写真を撮っている人がいた。そこではっと気がつく。

 

 カメラを持ってきていない!

 

 忘れたのがパスポートじゃなくてよかったと、自分に言い聞かせる。

 

 ヘルシンキでは乗り換えながら、EU圏に入るということで、入国手続きが必要だった。

 列に並んでいると、偶然、その前方に母と妹の姿を発見。無事に合流してやれやれ一息、と思った矢先、母が慌て出した。機内に図書館で借りた本を忘れたという。

 

 入国手続き後、空港内のほぼ反対側に来ていた私たち。荷物を引っ掻き回し、憔悴した母を残し、利用したフィンエアーのカウンターを探し回る。

 やっと見つけたカウンターには長い列。順番を待ち、どうにかカウンターのおばさん、元いお姉さんに訴えると、日本人スタッフと連絡を取って、忘れ物の中から見つけ出してくれた。

 反対側のターミナルから遥々持って来てくれたのは、爽やかなイケメンのお兄さん。

 ありがとうございますっ!

 いや、あの、でも忘れたのは私じゃないんで…。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 その後、フライトは至って順調で、予定時刻通りウィーンへ到着。

 空港からはSバーンと地下鉄を使って本日の宿へ向かう。地下鉄の乗り換えで迷ったものの、前乗りしていた妹が駅まで来てくれたので、宿まではスムーズにたどり着いた。

 

 その宿はとても古そうなアパートの一室だった。やはり古いせいかドアの鍵を開けるのに手こずる。今日のミッションでもっとも難易度が高く、もう開かないんじゃないかと思い始めた頃にようやく開いた。(その後も鍵の開け閉めは一苦労だった。)

 

 室内は綺麗にリノベーションされていて、明るく清潔。駅から近いけれど、街の中心部からは離れているので、外も静か。キッチンのカウンターや備え付けの棚の位置が高すぎる(棚の上の段には手が届かない。カウンターによじ登ろうとするも、簡単には登れない高さだった。)、という問題はあったけれど、日本人仕様ではないので仕方ないか。

 

 こうして異国の地で家族が揃うというのは不思議な気分。

 賑やかな旅になりそうな予感がした。

オーストリア・スロヴァキア・ハンガリー旅行2日目 ウィーン

2日目

 朝からウィーン最大の市場、ナッシュマルクトへ向かう。腹ごしらえを兼ねて市場をブラブラ。こんなものまで、とびっくりするようなガラクタから立派な中国の壺までごちゃごちゃと売っている。

 ダンボールに山盛りされたバイオリンはさすが音楽の街ならではの光景だったけれど、大学時代、4千円で購入したと言われている学校の楽器を、みんなで大切に使っていたことを思い出し、ここでの扱いの違いに、些か胸が痛んだ。 

 

 ハリネズミ好きの妹が最後まで買うのを悩んでいたのが金属製の置物。5匹のハリネズミを重ねることができる。持ち歩くには重過ぎると泣く泣く諦めた。

 神戸の雑貨屋さんでそのレプリカと思われるものが、3倍の値段で売られているのをたまたま見つけて悔しがったというのは後日の話。

ウィーンのナッシュマルクトで売られている野菜と果物

 野菜から果物、肉、魚やチーズなど食べ物も豊富に売られている。その中でも肉屋で買ったサンドが最高だった。

 英語は通じなくとも心は通じる。

「サービスしとくわ」という笑顔と共に、肉屋のおばちゃんはたぷりと肉を挟んだパンを手渡してくれた。これで2ユーロ。近くにあったら毎日通いたい。

ナッシュマルクトでお勧めのサンド。

 トルコ系と思われる人々が出す店も多く、食材にエキゾチックな香りが混じっていた。その一軒でチーズを詰めたアーティチョークのピクルスを買って、道端で齧る。癖のあるチーズとピクルスの酸味が合わさって、見た目の繊細さとは異なる面白い味だった。他にも地味に手間が掛かっていそうなチーズをつめたオリーブが何種類も売っていた。

ウィーンの市場、ナッシュマルクトで売られていた魚

 市場を散策するついでに楽しめるのが、マジョリカハウス。

1899年に完成した美しいバラ模様の外壁をもつオットー・ヴァーグナー作の住宅は、現在も一般の住居として使用されている。その内部のエレベーターも見事だということで、中を見られないのが残念だと妹が嘆く。美しい外観だけでもとカメラを向けているのは私たちくらいで、街に溶け込んで建っているせいか、目を留めている人はほとんどいない。

マジョリカハウス

 市場で楽しみすぎて、気が付けば時刻は昼前。

 取り敢えず、マーケットへ来ることしか考えていなかった私たちは慌てて次の計画を練る。

 やはりシェーンブルン宮殿を見ておこうと話がまとまり、地下鉄で向かう。ピークシーズンは過ぎているはずなのに凄い人。チケットを買う段になって、更に驚かされる。

 次に参加できるガイドツアーは2時間後。ガイドなしでも1時間半は待たなければ入れないという。太陽はちょうど頭上にあって、宮殿周囲の立派な庭園を歩き回るのも気が進まない。貴重なウィーン滞在時間を無駄にはできないと、その日最後のツアーに申し込んで一旦街まで戻ることにする。計画性がないのはいつものこと。

 

 短い時間の中で目指したのはグスタフ・クリムトの壁画「ベートーベン・フェリース」が展示されているセセッシオン。金色のキャベツと呼ばれる建物の上部に配されたドームは炎天下では眩しすぎるほどだった。

クリムトの壁画があるセセッシオン

 1902年に製作されたこの壁画は、ベートーベンの交響曲第9番をモチーフにしたもので、地下の個室をぐるっと取り囲むように6つのテーマが並んでいる。

 当初は展示会の後、廃棄される運命だったと聞くと、尚更、今、こうして目にしていることが感慨深い。ファンタジックな世界の中に、人間の愚かさと醜さと美しさと逞しさが拡がっていて、「歓喜の歌」を聞きたくなる。合唱経験のある母が小声で歌い出す。母の場合、小声が小声に聞こえないという問題が・・・。そもそもあれはホールで大合唱に包まれてこそ、その醍醐味がわかる曲じゃないだろうか。

 壁画を堪能し終わるともうすっかり昼は過ぎ、ティータイムの時間だったので、美術館近くのカフェ、その名も「cafe museum」へ行ってみる。それぞれ好きなものを注文し、一口ずつ分け合う。どれも甘すぎず、くどすぎず、疲れた体に染み渡る美味しさ。すっかりウィーンのスイーツの虜になった。

ウィーンのスイーツ
ウィーンのスイーツ
ウィーンのスイーツ

 その後、再び電車に乗って、シェーンブルン宮殿まで戻り、ガイドツアーに参加した。

ツアーなしでも廻れるけれど、ちょっとしたこぼれ話が聞けたりするのがツアーの醍醐味。ただ、英語のジョークが全くわからないのが悲しい。そこは日本人お得意の愛想笑いでごまかしながら、皆さんに付いて行く。

 

 行く部屋行く部屋絢爛豪華。ハプスブルク家の当時の繁栄っぷりをこれでもか、と見せ付けられる。

その一方で、その力を保つために繰り返された近親間の結婚は、彼らの容貌をどんどん醜くしていったという。もちろん、肖像画にはきれいに着飾った気品ある紳士淑女しか登場しないけれど。

 

 自殺や暗殺といった多くの暗い死、権力を維持する道具としての政略結婚、華々しいからこそ陰の部分もより深い。表舞台の裏側に、より思いを馳せてしまう2時間だった。

 もっとも最後の方は暑いし、疲れるし、意識もぼんやりして、ろくに説明を聞いていなかった。ピークシーズンは押し寄せる人々のせいで室内は40度を超え、汗のせいで部屋の湿度が上昇し、また汗が蒸発したあとの塩で調度品が相当傷んだ部屋もあったというから、これで不満を述べるのは罰当たりかもしれない。真夏に行くのなら、覚悟が必要。

シェーンブルン宮殿

 宮殿の前に広がる庭園も、宮殿に負けず劣らず、手入れの行き届いた素晴らしいものだった。傾く日差しの中、うっとりその景色を見つめるだけで、何時間でも座っていられそうな気がする。あまりの魅力に夢見心地・・・あ、これはもしかして時差ぼけ?

シェーンブルン宮殿の美しい庭園

 重い腰を上げて街まで戻ると、すっかり暗くなっていた。

 街でもっとも賑わっているケルントナー通りから少し入ったところにあるウィーン料理のレストラン、ミュラーバイスルで夕食にすることに決めた。この辺りは観光客も少なく、落ち着いた雰囲気。

 暖かくライトアップされた居心地良さそうな店内は無人。それに比べて薄暗く、当然ながら何の調度品もないテラス席。しかし数組が外でワイン片手に談笑している。

 

 郷に入っては郷に従え。

 私たちも店の外に設けられた席に腰を下ろす。

「日本語メニューありますよ」

 さすが観光地。手渡されたメニューを散々眺め、スープと前菜から一品ずつ、メインを2品選んで四人でシェアすることにする。本来なら、これで一人分のコースかも。

 

 スープはレバー団子が入ったレバークネーデルを選んだ。レバー好き(私)にはたまらない!しっかりレバーの旨みを味わえるのに臭みはなくて、レバーが苦手な妹も大丈夫な様子。取り分けるほどの量はなかったので、4人でこっそり回し飲み。淑女にあるまじき振る舞いは誰にも見られていないはず!?

 それから、アスパラガスのグラタン。グラタンといっても野菜のオーブン焼きホワイトソースかけ、といった感じでとても上品な仕上がりだった。名前から日本でお馴染みの「グラタン」を想像してオーダーした妹はちょっと残念そう。

 メインにはウィーンのカツレツ、シュニッツェルとシチューを選ぶ。サクサクとしたカツは軽くて食べやすい。シチューは濃厚で、添えのポテトに濃くのあるソースがよく合う。

ウィーンの名物料理、シュニッツェル
ウィーンでの食事、ビーフシチュー

 食事に満足し、ちょっぴり入ったアルコールのせいもあって浮かれた気分でケルントナー通りを下る。駅へ向かう途中、何やら人だかりに出くわした。

ちょうど国立オペラ座の前。壁面に大きなスクリーンが備え付けられていて、中で上映中のオペラをライブ中継している。スクリーン前には椅子も並べられていて、無料でオペラ鑑賞が可能という何とも粋な計らい。

 ワインの酔いも手伝って、夜のウィーンの街が殊更幻想的に、美しく見えた。

オーストリア・スロヴァキア・ハンガリー旅行3日目 ウィーン

3日目

 まず、本日初めの予定。洗濯。

 アパートに泊まる利点は色々あるけれど、こうして洗濯機が付いていることもその一つ。

 ただ、日本とは異なる仕様。昨晩、試行錯誤して電源の入れ方は分かっていたので(そこにたどり着くまでに手間取り過ぎて、そこで力尽きていた)、取り敢えずスタートさせてみたものの、水がほとんど注入されない。超エコ洗濯。

 脱水が終わった後に取り出すと、全体が湿っぽくはなっていたから洗剤は満遍なくまぶされはず。液体洗剤でよかった…。

 

 今日の午後はオペラ鑑賞の予定。洗濯をしている間にインターネットで購入した際のチケット控えを今更ながら確認していると、少なくとも開演30分前には受け取ること、他の幾つかの劇場でも事前にピックアップ可能などと書いてある。今、初めて気がついた!

 だったら、先に取りに行っとくべきなんじゃない?

ウィーンの市庁舎

 急遽、準備が整わない妹2人を残し、母と二人でチケットを入手しに行くことになった。

 最寄のピックアップ場所がたまたまブルク劇場だったおかげで、その目の前にある市庁舎を図らずも観光できた。

 日本でイメージする「市庁舎」とは比べるのも申し訳ないくらいの豪奢な建物。こんな場所で執務ができるなんて、信じられないくらい贅沢。快適さ、については定かではないけれど。

 

 ブルク劇場自体も素晴らしい佇まいで、当時の繁栄ぶりが伝わって来る。しかもどの建物も壮麗なだけでなく、見上げても視界に入りきらないくらいの圧倒的なスケール。

劇場の前ではモーツァルトのコスチュームの男性が演奏会のチケットを売っていた。なかなかユーモアのある人物で、腕を組んでエスコート、なんて真似をしてくれたので、私も少々付き合ってみる。残念ながら本日は既に予約あり。

 

 劇場内のチケットブースでは職員が手馴れた様子でチケットを発券してくれる。

 音楽も立派な観光産業だけあって、システムがよく整備されている。ちょうどチケットを受け取ったところで、重厚なドアが開いて妹達が顔をのぞかせた。

 ブルク劇場にはクリムトが描いた天井があり、是非見たい!と妹が言う。係りの人に聞いてみるも、ツアーでしか見られず、しかもその英語ツアーは3時からだということで諦めることにした。訛りが強くて何を言っているのか私は全くわからなかったのに、たぶんそう言ったと妹は主張。さすが、必死さが違う。

ウィーン美術史博物館の豪華な天井

 それから美術史博物館へと向うため、トラムに乗った。

 どうぞ座ったら、と席を詰めてくれる乗客。地下鉄に乗っていても地図を広げれば、どこで降りるの?次の駅だよ、と親切に教えてくれるたりする。そんな素敵な人々と出会って、ウィーンの街をまた一つ好きになる。

 

 美術史博物館は予想していたものの、広大だった。とても半日で見られる量ではない展示品の数々。中でもやはり一番印象的だったのが、正面階段を上ったところ、壁面に描かれたクリムトの作品。美しく、どこか物憂げな女性達がアーチを囲んでいる。 

 もちろんそれ以外にも、ブリューゲルの「雪中の狩人」やベラスケスの「青いドレスのマルガリータ王女」やフェルメールの「絵画芸術」など、超有名作品が展示されている。

足早に絵画作品を見て回っただけで時間切れ。エジプト、古代ギリシアのコレクションなど、そのコーナーに足を踏み入れることさえできなかった。

 

 本日のオペラ鑑賞予定はフォルクスオーパ。開演時間が4時半だったので、それまでに大急ぎで昼食を済ませるべく、地下鉄の駅へ向かう。公共交通網が整っているので有難い。パスを買ってしまえば支払いの煩わしさもなくなる。改札もないから乗り降りもとてもスムーズ。

 

 昼食に選んだのはパラチンケンプファンドル。

 ウィーン料理でクレープの一種だというが、日本の、あの上品に巻いたもの仲間とは思えない。食事系のパラチンケンは焼いたり、揚げたり、結構こってり。フライパンに載せられ熱々で出される。

スイーツ系は溢れるくらいジャムが挟まり、食べきれない量のホイップが添えられてずっしり。美味しいけど、一人前完食は間違いなく不可能なボリューム。私たちにとっては・・・・・・。

 場所がわかりにくく、予想以上に時間がかかって、たどり着くまでには一悶着もあったけれど、取り敢えず食事が出てくると自然と笑顔もこぼれた。空腹と疲労はろくな結果につながらないと復習する。

ウィーンの食事 パラチンケン
ウィーンの食事 パラチンケン
パラチンケンのスィーツ

 ランチを食べ終えた後は小走りで駅に戻り、メトロに乗ってオペラ鑑賞へ向かう。間に合うかどうかぎりぎりで、嫌な汗が流れる。

 駅に降り立つと、ドレスアップしたカップルや家族連れの姿が見られた。どうやら目的地は同じ。間に合ったようだ。

 今回、チケットを取ったフォルクスオーパはフォルクス(民衆の)の名のとおり、気軽にオペラを楽しめる場所として親しまれている様子。意外と子どもの姿も多い。服装もメイクもばっちりの方から足元はスニーカーの人まで思い思い。日本人はあまり見かけず、トイレで並んでいると、「もしかして日本の方ですか」と上品な日本人に嬉しそうに話しかけられたくらいだった。

フォルクスオーパのチケット

 さて、肝心の初海外オペラはと言うと。

 正直なところ、音楽を聴きに着て苦痛を感じたのは、記憶にある限り初めてのことだった。

 時差ぼけと、旅の疲れと、どうにか開演に間に合わなければというプレッシャー。

 その上今は、全くわからないドイツ語に晒されている。あらすじに目を通していたものの、現在、どの場面まで進んだのかもよくわからない。もっと、煌びやかな衣装とか、派手なセットでもあれば良かったのに、と現代的でシンプルな演出にも文句を言いたくなってくる。(完全な逆恨み。舞台は素晴らしかったはず・・・。)

 眠りに落ちないように無理矢理意識を引き上げる努力を続けた結果、第二幕目くらいからは極度のストレスで、もう今すぐ席を立って出て行こうと何度も考えた。精神が高ぶりすぎて眠ってやり過ごすこともできず、途中で立ち上がる勇気もなく、カーテンコール時に残ったのは、燃え尽き感と苦い教訓。よくばりは禁物。そもそもタイトな日程に、特別に観たいプログラムもやっていなかったのにどうしてもオペラ鑑賞をしたい!と言い出したのは私自身・・・・。

 

 実態はどうであれ、本場でオペラ、その雰囲気は体験した。後は疲れ切った心と体を休めたい。でもその前に夕食、と宿の近くのレストランへ向かったが、目指した店のドアには1枚の張り紙。

工事のため移転して営業します。

 ショックを隠しきれずに暫し佇む私たち。

 気合を入れ直して、1ブロック先の暗がりに浮かび上がる明かりまで行ってみると、アイスクリームカフェだった。見事にアイスクリームしかない上に、もう閉店するという。

うろうろしているうちに辺りは真っ暗。

 結局、確実な方法を取ることになった。つまり、昼に食事をした賑やかな街中まで戻ること。

この旅初めてバスに乗る(メトロは毎回のように、トラムは午前中に乗ったから、これで公共交通機関は制覇!)。

 

 疲れすぎて食欲はなかったけれど、たまたま通りかかったレストランはなかなかの盛況ぶりで心引かれる。

 調べてみるとウィーンで最古のバイスルだった。案内された席は穴倉のような造り。低い天井は壁から一体となって続いていて、そこへびっしりとサインが並んでいる。

 注文を待っている間、突然がやがやと店の人に連れられた男女がやってきた。何事かと思ってみていると、店員がさっと長い棒をつかみ、天井の一角を指し始めた。

「これが、モーツァルトのサインです。そして、こっちがベートーベン。あっちはシラーで、それから・・・・・・」

 店員の説明は澱みなく進む。

 モーツァルトにベートーベン。そんな彼らが滞在したことのある空間にこうして座っている私達。偶然、たまたまでとってもラッキー。この狭い空間で今晩食事が出来たのは私達4組。なんて幸運!とテンション上がったのも束の間。注文した料理が全く出てこない。途中寝そうになりながら40分は待つ。温厚な日本人でもたまには怒る。

「さっきもすぐ来るって言いながら、なかなか注文取りに来なかったですよね!一体、あとどれくらいかかるんですかっ!」

ウェイターを捕まえて詰め寄ると、

「すぐ、もうすぐ来ますってば。ね、そんな怒らないで下さいよぉ。今日は、団体客が入ってて、こっちもいっぱいいっぱいなんですっ」

 逆に泣き言を言われる始末。

 空腹と眠気がピークになった頃、料理が運ばれてきた。例の軽薄なウェイターはあの後寄り付かなくなった。代わりに顔に疲労が見られるものの、物腰丁寧な男性が給仕してくれる。

出された料理は、ささくれ立った私達の心をなだめるのに充分すぎるものだった。

繊細で複雑。盛り付けも味付けも絶妙なバランス。そうして私達はあっさりすっかり上機嫌になって、遅めの夕食を終えたのだった。

オーストリア・スロヴァキア・ハンガリー旅行4日目 ウィーン → メルク → デュルンシュタイン

4日目
ウィーンの駅のパン屋
メルクのメインストリート

 お世話になったアパートを引き払い、ヴァッハウ渓谷へ出発の日。スーツケースは駅に預け、1泊分の荷物を持って、メルク行きの電車に乗り込む。

 近代的できれいな車内。ドイツ語圏の人々はやはりきれい好き?

 

 

 

 

 安心して、構内のベーカリーで買っておいた朝食用のパンを取り出す。漂う小麦の香ばしい香り。美味しいパンとスタートを切れたなら、素敵な一日を過ごせること間違いなし。

 

 走り出して程なく、緑が視界を覆うようになった。時々、工場から煙が上っている地域を通ることもあるけれど、ほとんどが一瞬で通過してしまう小さな町で、森や丘陵を眺めているといつの間にか睡魔に襲われる。

 ドイツ語の駅名が短くアナウンスされるだけなので、乗り過ごしてはいないかと不安になり始めたころ、メルクに到着した。

 規模は小さいけれど、それまでの駅と違って降りる人が多い。観光に来ているのは私達だけではないと気がつく。

 列車を降りた人々の流れに従って坂を下っていく。もっとも、誰もいなかったとしても、正面に町のシンボル、メルク修道院が聳え建っているので、迷子になることはない。

 

 

 

 

 

 町といってもメインの通りは一本しかなく、1時間もあれば隈なく歩き回れる規模。賑わいがあるのは、ほんの何十メートルで、石畳の街並みは映画のセットのよう。町の歴史は古いのに、どこか作り物めいて見えるのは観光地の性として仕方のないところかも。

 修道院は高台に建っているので、今度は階段を上っていかなければならない。

 

 遠目にも修道院のイメージとはかけ離れた鮮やかな黄色が目を引いたが、近くで見ると、尚更その華やかさに圧倒される。

 曇天が似合う、どこか陰湿でもの悲しげな佇まい。個人的にはそれが修道院のイメージ。これほどあっけらかんと青空の下に建っていると、調子が狂う。

内装も外観に劣らずの豪奢な造り。ここまでくると、「神秘性」を期待する方が間違っている気がしてくる。

 それでも、今もずらりと古書が並ぶ図書館や、きらびやか過ぎて落ち着かない気分になるほど金装飾が施された教会内部は、流石というしかない。フランスへ嫁ぐ途中、マリーアントワネットが立ち寄ったという説明にも納得。

メルクの修道院
メルクの修道院の内部

 修道院のテラスからはメルクの町と、これから下ることになるドナウ川と、その周囲に広がる森を一望でき、気持ちの良い眺めだった。

 修道院を出て町まで戻ってくるとちょうど昼過ぎで、中心部を少し外れた場所では昼休憩のためどこも店を閉めていた。観光地ながら、どうやら生活サイクルはマイペースなようで、やっと少し、この町の素顔を見られたように思った。

 

 そして、いよいよ、旅の目的の一つでもあるドナウ川下りへと向かう。町から川沿いに歩いて20分ほどのところに船着場がある。

ドナウ川下りの船

 川面を渡る風に吹かれながらの川下り、も魅力的ではあったけれど、如何にせん天気が良すぎたので、船内のカフェテリアの先頭に陣取って、のんびりゆったり景色を楽しむことに決める。

素早い適切な判断のおかげで(私たちには珍しく)、特等席にて快適な旅を満喫。ここでは今でも川が「交通手段」であることを示すように、時折貨物の運搬船とすれ違う。このドナウ川がヨーロッパの発展を支えてきたんだという実感が沸き起こってくる。

 

 食堂スペースの一角を陣取っていたので、さすがに、何も注文しないのは気が引ける。ということで、BITTER LEMMONを注文。レモンの飲み物ということは想像できたけれど、運ばれてきたのはボトル入りの飲料。これなら自販機で買えばよかったとがっかりしたところから一転。飲んでみると・・・何これ、おいしい!暑さで少々へばっていた体に程よい甘さと酸味が染み渡る。

 母もボトルに向かってシャッターを切るほど気に入った様子だった。(その後、日本でも発売され、我が家は大興奮だった。今は・・・そういえば見かけない。)

 

 岸辺を流れ行く景色の中に時折、顔をのぞかせるのが古城。それにまつわる逸話が船内放送される有難いサービス。ただ、日本語も含め数ヶ国語で説明されるので、日本語パートは通り過ぎてから流れてくることもある。説明だけ聞いてもう見られないとなると、余計に気になる!

ドナウ川下りで目にした古城

 古城というと、ロマンティックな響きがあるけれど、中には捕虜を閉じ込めていた城もあった。断崖絶壁に立つそこからの脱出はまず不可能で、運よく脱出できたとしても、周囲に広がるのはバラ園で、飢えて死ぬ運命が待ち構えていたという。バラは食料とならず、逃げようとする者に牙を剥くだけ。

バラは鑑賞のためだけのものかと思っていたけれど、実用性もあったとは。

 とにかく棘には気をつけよう。

 

 下車予定のデュルンシュタインまでは1時間と少し。途中、シュピッツに立ち寄ったが、乗り降りする乗客はほとんどいない。そこでは発着のため船体が360度回転し、面白い景観を楽しめた。船はクレムスまで向かうものの、私たちと同じようにデュルンシュタインで下船する観光客もそれなりにいる。

町は丘の上から広がっていて、港からは急な坂や階段を上がらなければならない。それにも関わらず、降り立ってすぐに私はこの街が好きになった。

ドナウ川沿いの街 デュルンシュタイン

 きらきら反射する川面とその背後に広がる山の緑に囲まれて、町には穏やかな空気が流れている。

坂を上りきり、メインストリートに出たところで目に飛び込んできたのはかわいらしいパン屋。どこへ行っても素敵なパン屋に出会うと気分が浮上。

 お昼はとっくに過ぎているので、品揃えはそれほどではなかったけれど、どれにしようかじっくり迷う。それが至福の一時。ちょうど遠足なのか、小学校低学年くらいの集団がやってきた。パン屋から大きなバットに入れられたパンが運び出され、一つずつ配られて行く。私たちにはお昼代わりだけど、彼らにとってはおやつといったところ。

デュルンシュタインのホテル

 そのメインストリートの端にあるのが本日の宿、シュロスホテル・デュルンシュタイン。

人生初の5つ星ホテル。といっても格式張ったところは全くなくて、肩の力を抜いて滞在できる。部屋の作りは流石に古城ホテルの風格があって、バスルームの白と金色とピンクのコーディネートに思わずため息がもれる。豪華なウェルカムフルーツも気分を盛り上げてくれる。そのフルーツで暫し旅の疲れを癒してから、町の散策に出かけた。

デュルンシュタインの街並み

 石畳が続く道の両側には土産物を売る小さな店が軒を連ねる。この地方の特産というアプリコットを使った製品も多い。ジャムはもちろん、リキュールや蜂蜜、石鹸、蝋燭、リップバームもアプリコット風味。
 メインストリートといっても二百メートルほどで、車が一台通れるほどの幅しかない。あっと言う間に反対側の端までたどり着く。
 
 眼下に広がるのはブドウ畑。それが河辺まで続き、その先のドナウ川と山々を眺めていると、数百年前、当時の人もここからこうして同じ景色を目にしていたと、確信に近い思いが浮かぶ。
背後の山の上にはリチャード王が幽閉されていたケーリンガー城跡があるはずだが、そこへ続く道の険しさに戦意喪失。
 代わりに来た時とは別のルートで船着場まで下ってみることにする。

デュルンシュタインの路地

 メインストリートから続く石畳の階段は蔦に覆われた壁面の隙間に細く続いていて、正面の建物の下にぼっかりと空いた穴へと消えている。下るにつれて日光が届かなくなり、ひんやりした空気と、どこか湿っぽい匂いが漂い出す。そしてトンネルを抜けると、ドナウ川。

 青い空の下、吹き抜ける風の中を河に沿って歩く。何より贅沢で、平和で、幸福な一時。帰り道は当然上り坂だけれど、左手に続く何世紀も昔の崩れかかった、それでもこうして残っている城壁、その歴史に思いを馳せている間に上りきってしまった。

ドナウ川の夕焼け

 宿に戻ると、心地よい疲労感と共に睡魔がやって来た。豪華なベッドへ潜り込む誘惑と、食事の前にシャワーを浴びたい気持ちがせめぎ合う中、妹とじゃんけんし、シャワーの順番を決める。

 シャワーヘッドもホースも金色。レトロなシャワーホルダーまでもが金。そこはかとなく漂うゴージャス感。乙女心を擽る。

 そうしてさっぱりした後のベッドの中でのまどろみはもう最高!

 

 本当に素敵な時間はその後にやって来た。

 体も心もすっきりして準備万端。古城ホテルに併設されているレストランへ向かう。

 チェックイン時に希望の時間を伝えていたはずなのに、人手が足りていないのか、存在感の薄い私たちに注意が向かなかったのか、入り口に立っていても、全く気に留めてもらえない。

 シャワーも浴びて、一休みして、穏やかな気分だったので、大人しく待つ。

 

 そして、しばらく経った後、ようやく係りの人がやってきた。

 案内されたのはテラス席。すっかり暗くなってその全容を目にすることはできないけれど、夜空とそれより深い闇に包まれた山々と、淡い光に照らされたドナウ川を独り占め、ではなく4人占めの素晴らしいロケーション。

 ただ、またしても忘れられたのか、なかなかオーダーを取りに来ない。

 やっと来たウェイターはアラカルトを食べるのか、コースにするのか、なんて聞いてくる。部屋を予約した時にレストランも予約し、料金も既に引き落とされているという…。

 それでも全て許せるくらい、ゆったりと夢見心地に時間が流れていく。

オーストリアの食事 シュロスホテル・デュルンシュタインのディナー
オーストリアの食事 シュロスホテル・デュルンシュタインのディナー
シュロスホテル・デュルンシュタインのディナー

 料理は申し分なく、何を話しても面白いし、何も話さずランプの揺らめきを見ているだけでも満ち足りた気持ち。

 日が落ちてからぐっと気温が落ちたので、その肌寒さが夢の中ではないことを教えてくれる。後ろの席のカップルのように、ドレスアップしてくることは私には無理。あんな露出した服では寒すぎる。

彼らは何かのお祝いをしているようだった。こんな一夜をプレゼントされたら、一生忘れられないだろうなぁ。

 女性の方をじろじろ見てしまったのは、彼女が特別に美しかったから、ということにしておこう。女ばかり4人でも充分楽しく、彼女が羨ましい、なんてことはない!

 

 そうして、絢爛豪華な一日は本物の夢の中へと溶けて行った。

オーストリア・スロヴァキア・ハンガリー旅行5日目 デュルンシュタイン → ウィーン → ブラチスラヴァ

5日目

 穏やかな昨日からは一転、朝から走る。

 

 ホテルのフロントで聞いていたバス乗り場が誤っていることが判明したのは、バスの出発時間が近づいてからだった。

 昨日答えてくれたおじさんは、ほんの数分、すぐそこだと言っていたのに、今朝のフロントのお姉さんの話だと、町の外れで15分くらいかかると言う。

 種類豊富なハムやチーズ、パンに感激しながら朝食を食べ、まだ本格的に目覚めていない町の散策を楽しんだ優雅な一時を少々悔やみながら、小走りに宿を出る。

 昨日から何度も通ったメインストリートを抜け、ブドウ畑も過ぎて下っていくと、急に現代になった。

 アスファルトの道を行き交う車両と、大型スーパー。欧米のどこかの街で、どこの街でも見慣れた風景。ぐったりしながらバス停に着くと、数人がバスを待っていた。

 走ったせいで喉が渇いてしまった。時刻表で確かめるとバスの到着まであと数分ある。バス停の正面、車道の反対側はスーパーの駐車場。水を買いに行くことに決めてスーパーまでダッシュ。

 

 スーパーの入り口は学生達で溢れていた。ちょうど登校時間のようだ。幸いすぐに目的のものは見つかって、さあ、会計、と思ったら、レジには長蛇の列。

 子どもたちが各々、水やらスナック一つを手に並んでいる。日本のコンビニのように、列が出来てもあっとうい間に解消、なんてことが起こるはずもなく、誰一人焦っている様子もない、私一人を除いて。

 泣く泣く手にしたボトルを元の場所に戻し、バス停までダッシュで戻る。疲労感は二割増し。そして息を整える間もなく、バス到着。

 このバスでウィーン行きの電車が出ているクレムスまで向かうことになる。道中乗ってくるのはやはり子どもが多い。小さな町を通過する度に乗客が増え、乗り合わせた友達とおしゃべりする光景はどこの国も同じだな、と微笑ましく思っている内にクレムスに着いた。

 

 降りそびれたらどうしよう、というのは杞憂だった。クレムスは近代的な比較的大きな駅。売店で飲み物を調達し、カウンターへ切符を買いに行く。

なぜか駅員の対応がとっても悪く(前に並んでいた二人組には親切に色々教えてあげていたのに)、自分の英語力のなさか、理解力のなさか、年相応に見られなかったからなのかわからないけれど凹む。そうして、肉体的にも精神的にもどっと疲れていたので、ウィーンまでの旅はほぼ夢の中だった。

 

 今日はいよいよウィーンを離れ、次なる目的地、スロヴァキアのブラチスラヴァへ向かう。まだ少し時間があったので、街のシンボルとも言われているスポットながら、未だ訪れていなかったシュテファン寺院に立ち寄ることにする。

シュテファン寺院

 屋根の幾何学模様がユニーク。内部も外観を裏切らない荘厳で、豪奢な造りだけれど観光客が多すぎて、歴史ある教会ながら厳粛な雰囲気とは縁遠いものになってしまっている。

 更に、教会入り口に群がる演奏会の客引きのしつこさに辟易させられた。黙って立っていてくれるだけならば雰囲気が出て、興味をそそられるのに。

 

 教会の向かいに見つけたのはマンナーの本店。小さい頃食べていたパサパサして、ただ甘いウェハースとは別物。サクサク加減と甘さ控え目で風味豊かなクリームが絶妙。人気があるのも納得の味。ウェハースの品揃えが豊富で、ロゴが入った雑貨も売っていたりして、ショッピングを楽しんだ。

ウィーンの街並み

 そうして束の間のウィーン観光を楽しんだ後は、すっかり慣れ親しんだ地下鉄に乗ってウィーン西駅に戻る。

 昨日からコインロッカーに預けていたスーツケースをピックアップする。スロヴァキアの首都、ブラチスラヴァへは安くて便利、というバスで向かうことに決めていたので、まずはバス乗り場へ向かう必要があったが、そこではたと気づく。

 

 今、何時?

 

 バス停は西駅からは離れた場所にあった。

 スロヴァキアの行きのバス発車時刻まであと三十分ほどしかない。その次のバスだとブラチスラヴァに着くのが夕方になってしまう。

 

 何を悠長に荷物の入れ替えなんかやっていたのだろう。四人もいると、何かと手間取る。

 公共交通で向かうことは諦め、タクシーを捕まえることにする。この旅、初タクシー。

 英語が通じているのかいないのか定かでないものの、バスターミナルへ行ってほしい、という思いは伝わったようで、車が動き出す。

 

 バスターミナルは二つある、と妹が騒ぎ出し、運転手にしつこいほど念を押す。過去の経験からすっかり疑い深くなっている。後は間に合うことを天に祈るしかない。

 

 ターミナルはウィーン郊外にあった。到着すると、バスが止まっている。安堵の息を漏らすも、発車まであと五分。急いでチケットを買いに走る。

 

「あれ?荷物、載せておいてくれなかったの?」

 バスの入り口で待っていた母と妹が困ったような顔をしている。チケットがないと駄目だと入れてもらえなかったという。挙句、

「もう、トランク閉めたから、荷物は持って入って」

とのこと。流石、ドイツ系?きっちり、というか、堅すぎる!

 ドライバーの顔には「それでもあんた達を待ってたんだから、感謝しな」と書いてある(ように見えた)。渋々トランクを車内に持ち込んで、座席の隙間にどうにか押し込む。そうして発車したのは定刻前だった・・・。

 

 ブラチスラヴァまでは1時間半の旅。足元がやたらと窮屈だったけれど、疲労困憊であっという間に眠りに落ちる。時折、小さな町を通過しながらバスは快調に飛ばす。

 どことなく車窓を流れる風景が変わり、国境を越えたことを知る。EU圏はノーチェックで煩わしさはないけれど、新しい国に足を踏み入れる感激のタイミングを逃す。

 

 ブラチスラヴァのバスターミナルは街の外れにあった。大きなターミナルは人で溢れているものの、一見して観光客とわかる人は少ない。特にアジア人はほとんど見当たらない。

 今日泊まる宿はここからさほど遠くないはずだったが、ターミナルが予想以上に大きかったせいで、右も左もわからない。

 ベンチに腰掛けていたおばさんに話し掛けるも、英語がわからないと拒絶され、中学生くらいの女の子に聞いてみると、2人ではにかみながらやり取りされる。

「あなた私より、英語得意でしょ」

「え、私?困るよ・・・」

 そんな感じで、なんだか、親近感が沸く。でもこっちも切羽詰まっているので、引き下がれない。

 地図を見せ、右に行くのか左に行くのかだけをどうにか聞き出し、後は勘を頼りに歩き出す。

 

 自他とも(少なくとも私は)認める方向音痴の妹が予約した宿なので、不安は付き纏うけれど、信じて歩くしかない。本日泊まるのはアパートで、オーナーが私たちの到着に合わせて建物の前で待っていてくれることになっていた。その時間は既に過ぎている。

 朝から3回目となる焦燥に駆られながら、スーツケースを引っ張って私たちは黙々と歩いた。

 

「ここの辺りだと思うんだけど」

 地図を確認すると、アドレスは一致する。ごく普通のアパートが立ち並ぶ一角で、当然ながら看板なんてものは出ていないし、宿の人らしき人物も見当たらない。携帯で連絡を取ろうとするも、つながらない。

 白昼、スーツケースを手にした4人、路上に立ち尽くす。

 やはり、場所が間違っているんだろうか。それとも、約束の時間に大幅に遅れた私たちをもう来ないと踏んで帰ってしまったんだろうか。またしても、宿が見つからず、路頭に迷う、なんてことになってしまううんだろうか、と過去の経験が不安を倍増させる。

 

 そんな中、角を曲がって姿を現したのは、サングラスに超ミニスカートのお姉さん。

「あの、もしかして・・・・・・」

 彼女がアパートのオーナーだった。気さくなお姉さんに続いて階段を上り、アパートの一室へ向かう。

「ほら、ここよ」

 2ベッドルームにリビング、ダイニングがついた充分な広さ。玄関右手がキッチンダイニングでその奥がリビング、続いて一つ目のベッドルームを抜けて二つ目のベッドルームを出ればシャワールーム。その前を通りすぎると玄関に戻る。部屋を通ってぐるっと一周できる面白い作り。

 誰かの家に泊まっているようなアットホームな雰囲気で、壁に貼られた手書きの注意事項や、なぜかキッチンに置かれたテーブルサッカーゲーム(グリップを引っ張ったり、回したりして人形を動かし、ボールを転がすもの)にほのぼのさせられる。(後でこのサッカーゲームが洗濯干しとして、立派に活躍することとなる。)

 

 ブラチスラヴァは一泊なので、のんびりしているわけにもいかない。早速、街へ出かけることにする。地図を確かめると歩けない距離ではなかったので、街まで歩くことにした。

 10分ほどで大通りに出る。スロヴァキア最大の街の中心部、ということになるのだけれど、徒歩で充分回れる広さ。

 ハンガリー帝国下では首都が置かれたこともあるということで、立ち並ぶ建物がその繁栄の面影を残している。でも、良好な状態で保たれているとは言い難い。ところどころ崩れ落ちた装飾やくすんだ壁面。当時の栄光とその後の国情。そのギャップをまざまざと見せつけられる。

ブラチスラヴァの古い建物

 通りに面したインテリアショップに心引かれて入ってみた。

 スロヴァキアの人々が品定めをしている間をうろうろしていると、にこりともしない店員が張り付いてくる。冷やかしはお断り、というわけでもなさそう。きっと、万引きを警戒しているのよ、とは母の弁。他に明らかに観光客とわかる人がいなかったので仕方ないとはいえ、なんで、私たちだけ、と釈然としない思いが残る。

ブラチスラヴァの広場

 気を取り直して観光スポットとして賑わう旧市街へ向かう。街をぶらぶらしていると、突然、カタコトの日本語で話し掛けられた。

 声を掛けてきたのはペルー人で、ここの大学で学んでいるという女の子。彼女は日系ではないものの、以前、日系の学校で学んでいたことがあり、日本人だと思って嬉しくなって声を掛けたと話してくれた。確かに、日本人はもちろん、アジア人自体、ほとんど見かけない。ラテン人らしく陽気で気さくな彼女に、旅の疲れを感じていた私たちは元気をもらう。

 旧市街は居心地良さそうなレストランやかわいい雑貨屋さんなど、思わず足を止めてしまうお店ばかり。国際的な絵本原画展が開かれているのも納得のかわいらしく素敵な街にすっかり心を奪われる。

ブラチスラヴァの石畳の街並み

 一本裏に入った路地では、でこぼこした昔ながらの石畳が続く。薄暗い道の両側に所々ペンキの剥げたレンガ造りの家々が静かに立ち並び、そこだけ時間が止まってしまっているよう。今、向こうからやってくるのが馬車だったとしても驚かない。

 街を一回りしてたどり着いたのが聖マルティン教会。ここまで来ると人気もなく、暮れ始めた街にひっそり佇む教会は美しかった。14世紀初頭に建てられたという教会はシュテファン寺院のような絢爛豪華さとは無縁だったけれど、年月を経た重みが、今にも崩れ落ちそうな屋根瓦の一枚一枚から伝わってきて、いつまでも静かに眺めていたい気分になった。

ブラチスラヴァの教会

 そんな雰囲気を堪能した私たちは、今度は体を休めるべく、カフェに入ることにした。

何軒も立ち並ぶ中、テラス席が最も賑わっていた一軒に決める。今日は一日、半袖でも暑いくらいの気温だった。日が傾き始めた今もまだその名残が漂っている。

気まぐれに入った店ながら、メニューが充実していて、冷たい飲み物も多くある。どうやらフレッシュジュースが売りのようだったけれど、店内に広がるコーヒーの香ばしい香りに抗えるはずもなく、カフェオレを注文。

 飲み物の美味しさ、センス良い店内のディスプレイ以上に目を引いたのが、ハイレベルな店員達。オーダーを取ってくれたお姉さんは飛び切りの美人だったし、男性ウェイターはみんな180cmは越えていると思われる長身で、爽やかなハンサム。

 それは店員だけではなかった。街行く人を注意してみると、整った顔立ちに長い手足を持った人々が多い。さすが美男美女が多いといわれる東欧圏。

ブラチスラヴァのカフェ

 カフェでの休憩で元気を取り戻した私たちは、旅恒例のスーパー訪問を実行することにする。

本日泊まる宿には立派なキッチンが付いているので、自炊することにしていた。と、その前に、履いていた靴が今にも破れそう、という妹の切実な状況から、靴屋に立ち寄る。

 日本では靴探しが大変な妹のサイズもこちちらでは普通。(平均身長ながら足のサイズは日本の成人男性と同じ妹。)デザインや旅で歩き回るための履きやすさを散々悩んだ末に、一足を購入し、満足げな妹と向かったのはヨーロッパではお馴染みのテスコ。

 

 私にはどうしても食べたいものがあった。

ロシアではペリメニと呼ばれる水餃子。カナダで初めて出会ってお気に入りになった。たっぷりのサワークリームと食べると病み付きになる。東欧でも広く食べられているそうで、現地のものを食べてみたかった。

 ほどなく冷凍食品コーナーで見つかったものの、サワークリームが見当たらない。店員に聞いてみても、英語が通じないのか、本当にそうなのか、「そんなものはない」と言われてしまう。代わりに形状が似ていたチーズを購入。

 

 帰り道は既にどっぷり暗くなり、夕飯にも遅い時間。知らない街で、人気がない道をうろうろするのは懸命ではないものの、4人連れだし、一日歩き回って感じた雰囲気から大丈夫だろうと判断し、宿まで歩くことにする。

 これまで旅をしてきた実感として、日中、わけもなくぶらついている若者が多い街ほど、治安が良くない。ここではそういう若者には出会わなかった。治安面に不安がない限りは、日が沈んだ後の街の空気を味わうのも面白い。闇に浮かぶ街灯や、家々から零れる明かり、談笑する声がその地の暮らしを伝えてくれて、私も束の間、その地の住人になった気分を味わえる。

 

 サワークリーム代わりに買ったチーズは意外に美味しく、ペリメニを食べられた私は、昨日と比べると豪勢とは決していえない夕食だったけれど大満足だった。

 順番にシャワーを浴びて就寝、の前にやらなければならないのが洗濯だった。この旅、2回目。今度もウィーンのアパートと似たようなタイプで不安になりながらも洗濯物を投入、スイッチオン。夜中に響き渡る爆音に日本の洗濯機を恋しく思いながら、終了の合図を待っていたはずが、気がつくと、眠りに落ちていた。

ブラチスラヴァの街並み
ブラチスラヴァの街角
6日目

オーストリア・スロヴァキア・ハンガリー旅行6日目 ブラチスラヴァ → ブダペスト

 昨日、脱落した私に変わって洗濯を干してくれた母と妹に感謝しながら洗濯物を回収するが、どうもおかしい。淡いピンク色の下着が見つからない。

「ちょっと、私の下着がないんだけど」

「これ、誰の?」

 差し出されたのは、ピンクというよりグレーの下着。母も同じように騒いでいる・・・・・・。どうも水に浸かっている時間が長かったせいで、他の洗濯物から色が出て、全てを染め上げてしまったらしい。やっぱり電化製品は日本製に限る!

 スロヴァキア滞在は瞬く間に終わり、今日はハンガリーへ移動する。

 本日の移動手段は列車。

 スロヴァキアでは全体的な物価はもちろん、タクシーも安いということだったので、鉄道の駅まではタクシーに乗ることにして、タクシー会社に電話する。

 

 何コール目かで繋がった。返答はスロヴァキア語。

 必死に英語で訴えるが、電話を切られてしまう。何度かかけ直しやっと少し英語ができる人が出たけれど、英語用の別の番号にかけろと言われ、そこにかけるとスロヴァキア語しか聞こえて来ない。

 一日に数本しかない電車の時間が迫る。リストにあったタクシー会社に片っ端からかけてみるものの、軒並み英語が通じない。

 

 最終手段は昨日到着したバスターミナルまで戻ること。あそこなら、タクシーが待っていたはずだ。ただし、スーツケースを転がしながらそこまで歩かなければならない。焦りながら宿を出ると、向こうからスーツ姿の男性がやってきた。ビジネスマンならもしかして・・・・・・。

 

「すいません、英語できますか」

 思い切って話し掛けると、イエスの答えが返ってきた。

「あの、タクシーを呼んでもらえませんか。電話するんですけど、スロヴァキア語しか通じないみたいで」

快く引き受けてくれた彼に電話を手渡し、コールしてもらう。それでもつながらない。別の番号にも掛けてみてもらうようにお願いする。やっぱりだめ。

 

「僕のを使ってみるよ」

 男性は取り出した自分の携帯でかけてくれる。今度はつながった。

 しばらくやり取りが続く中、固唾を呑んで見守る私たち。

「つながったんだけど、今、タクシーが出払っているから来られないって」

 申し訳なさそうに男性が告げる。そんな…。

 

 悪いのは男性ではない。朝の忙しい時間に嫌な顔一つせずに引き受けてくれた彼に、せめて電話代は払います、といったけれど、受け取ろうとはしなかった。

「良い旅を!」

 そう言って去って行った彼は、出張でブラチスラヴァに来ていたとのこと。

 なかなか整った顔立ちで笑顔も素敵だった。その出会いがせめてもの救い。

 

 私たちは来た時以上のスピードでバスターミナルを目指す。猛然と歩きたどり着いたターミナル前にはタクシーの列。ただ、どうやって話しかけようとまごまごしているうちに、列の先頭になったのは、オンボロ車。一体、何年もの?要領の良い現地の人は、ささっと手を上げて、きれいな車に乗り込んでいる。ささっと、とは行かなかったけれど、私たちも後ろのより大きくてきれいそうな車のドライバーに話し掛ける。

「あの、電車の駅まで行きたいんですけど」

 なんだか反応が冷たい。前の車を指してそっちに乗れという。いや、できれば勘弁、と思ったけれど、ここで押し問答している時間はなかった。

 仕方なく前のドライバーに声をかける。

「駅まで、いくらですか?」

「あんたたち、荷物が多いから、全部で12ユーロ」

 ちょっと待って。バスターミナルからはどう考えても3キロ以内だし、相場は1キロ1.5ユーロ程度とあった。ウィーンでスーツケース共に20分ほど乗った時でも15ユーロだった。

「高すぎる!」

「いや、それは譲れないね」

 喚き立ててみるものの、英語はほとんど通じていない様子。

 今の私たちにタクシー以外の選択肢はない。後ろの車にももう頼めない。結局、彼の言い分を飲むしかなかった。

「それ以上は絶対払わないから」

 折れたものの、乗り込もうとして後悔が押し寄せる。

 

 後部座席は小柄な日本人女性3人でもぎゅうぎゅう。

 私が座ろうとした助手席は雑誌や食べかすや老眼鏡などが山積み。ドライバーのおじさんが、ちょっと待ってね、と慌ててどけてくれたけれど、そこはパンかすや砂など埃まみれ。ここに座るのかと思うと鳥肌が立ったけれど、仕方ない。Gパンを穿いていて良かったと服の選択に感謝しながら乗り込む。

 

 私たちが乗り込んだ後は急に愛想がよくなったおじさん。こっちはスロヴァキア語もできないし、狭くていつ掃除したかもわからない、骨董的なぼろ車に押し込められて、おまけに電車の時間も迫っている。機嫌よくなんてできるわけもないというのに、ひたすら話し掛けてくる。

 途中から、その根性の前にカリカリしている自分が馬鹿らしくなってきて、何を言っているか全くわからなかったけれど、適当に相槌を打ってみたりする。理解できたのは、彼がロシア語とフランス語はちょっとできる、ということ。英語と同程度かもしれないけれど。

 

 どうにか電車発車時刻前に駅に到着。

道中、悪い人ではなさそうということがわかったので、ユーロは不要だったし、本当はピッタリの金額を払いたいところだったけれど、少し多めに渡す。

 でもまだ安心するのは早かった。

 

 駅のチケットブースには長い列。開いている窓口が少ない。しかも遅遅として列は進まない。やきもきしながら待っていると後ろの女性が話しかけてきた。急いでいるので、順番を代わってほしいという。

いえいえ、こちらだって、前の人と代わってほしいくらい急いでいるんです!

 

 ハラハラしながら順番になり、切符を購入。もう駄目かと思ったけれど幸いなことに電車の到着が遅れているそうで、大丈夫だった。

 駅には改札がないので、母は先にホームに上がっていた。

「あれ、スーツケースよく運べたね」

 足を痛めている母には結構な重労働だったはず。

「それがね、親切な男の子がホームまで運んでくれたのよ」

 彼は別のホームの電車に乗るにも関わらず、母の乗り場まで運んでくれたのだと、とっても嬉しそう。イケメン好きの母が満足した彼に私も会いたかった。

 

 電車がやってきたのは、それから10分以上経ってからだった。

 ブタペストまでは2時間半。オーストリアでは森か畑、時々街、という風景を目にしたが、今、窓の向こうには平地でも人の手の付けられていない「何もない」土地が広がっていたりする。草木が生い茂る季節でもないので、どこか色に乏しくて、寂しげな雰囲気だ。

 うつらうつらしていると、ちょっと厳つい二人組みが前からやってきた。にこりともせずこちらに近づいてくる。

 

「パスポート」

 そう要求されて気がついた。私たちはいつの間にかハンガリーに入っていた。

 スロヴァキアもハンガリーもシェンゲン協定加盟国でパスポートコントロールはないけれど、パトロールは行われているようだ。去っていく二人組みのTシャツ(そう、なぜか黒いTシャツ。とってもカジュアル。でもマッチョな二人が着ていると、それなりに見えるから不思議。)の背にはハンガリー警察の文字。

 

 そのうち家が増え始め、線路の両側にぎっしりと立ち並ぶようになり、高い建物が姿を現し、列車はスピードを落とし出した。とうとう、最後の訪問地、ブダペストへやって来た。

ブダペストの駅舎

 降り立ったのは西駅。終点なので、どっと人々が吐き出される。ドーム型の屋根で学校の体育館のよう。とても大きいけれど。

 まずやるべきなのは、これから利用することになる地下鉄のチケット購入。1日券や3日券があると調べていたので、それを入手したい。

 構内にあったインフォメーションセンターで聞くと、今日の分は売り切れたという。

駅のチケットオフィスに聞くと、ここじゃ売っていないけど、キオスクにあると言われたので、行ってみたものの、デイパスは売っていないと断られる。

 地下鉄の売り場へ行ってみると長蛇の列。地下へ下りるエスカレーターの前に設けられたカウンターでお兄さんが1枚1枚手渡しで販売している。

「あの、3日券を3枚ください!」

 4人なのに3枚、というのも、先ほど、アジア人の青年に「まだ、2日分残っているんだけど、スロヴァキアに行くことにしたから、もういらなくなって。良かったら、使って」ともらったから。

 自国(韓国?)の人に渡そうとしたけれど見つからず、ルーツの近そうな私たちにくれたようだった。

 

「あ、ごめん。1枚しかないや。あとは、この下、エスカレーター降りたとこで売ってるから」

 ようやく順番が来たと思ったら笑顔でそう告げられて、やれやれとエスカレーターを下っていくと、そこには誰も並んでいない正式な切符売り場があった。

 おばさんがプラスチック板の向こうで応対してくれる。

 どうしてこっちが空いているなら、もっと早く案内してくれないだ、と大阪人としては憤るところだけれど、ハンガリー人は気にしないんだろうな。

 

 やけに疲労を感じながら、再びみんなと合流し、地下鉄へ。

 ウィーンで乗りなれたはずなのに、また、ゼロからのスタート。どっち方面に乗ればよいのかさっぱり分からない。更にやってきた列車にまた驚かされる。適当に塗り直された塗装が良い味出しているといえば、聞こえはいいが・・・。

 レトロ感たっぷり。こんなの走らせて大丈夫なんだろうかと心配になりながらも乗り込む。いつものことながら、とっくにお昼を過ぎているので、宿へ向かう前に腹ごしらえ。ハンガリーもカフェ文化が発達しているとチェックしていた妹が、行ってみたいカフェがあるという。

 目的の駅について電車を降りる。列車は東京の地下鉄も顔負けの地下深くを走っている。ホームと地上をつなぐのは一本のエスカレーター。下から見上げると出口は見えない。後ろを振り返ると思ったより傾斜が急で、転がり落ちそうな気分になる。階段の需要はさすがにないのか、エスカレーターしか設置されていない。同じ方向に2本走っているのだが、なぜか左右でスピードが違う。隣の列の人に抜かされるとなんか悔しい。

 

 そうして上りきった先は地下1階。地上への階段が四方八方に伸びていた。一体、どこを上れば良いのだろう…。

 後々分かったのは、そういった地下鉄の上は幹線道路になっていて、上の道路には横断歩道がない場合が多いので、誤った出口から出るとまた引き返して、違う階段を上らなくちゃならない。もちろんエスカレーターやエレベーターは見当たらない。というわけで、スーツケースを持っている場合は要注意。

 そうこうしているうちにブダペスト到着から1時間が経過。漸くお目当てのカフェ、New York Caféへ到着した。扉を開けると、そこは別世界。

 美術館のような店内。アールヌーヴォーの装飾に絢爛豪華に取り囲まれて、優雅に食事やお茶を楽しめる。

 朝は穿いていて良かったと思ったGパンが今は恨めしい。幸い、観光客が多いせいか軽装の人も多かったのがせめてもの慰め。

ブダペストのニューヨークカフェ
ブダペストのニューヨークカフェ

 更にその雰囲気を壊さない丁寧な接客。スマートな彼らにもうっとり。そうそう、英語にも敬語ってあったんだよなぁ。

 そんな中、ウェイターが通り過ぎる度にウィンクしてくる!と妹が騒ぐ。きっと彼はイタリア系に違いない。そして、妹が一番若いからに違いない・・・・・・。 

 出された料理もハイレベル。パスタとサンドウィッチをシェア、デザートはそれぞれ一品ずつ注文したが、空腹だったことを差し引いても、味も盛り付けも文句なしで夢心地のランチ。

飲んでいるのはアイスコーヒーではなくホット。ハンガリーもなぜか、ガラスのカップに注がれて出てくる。やっぱりオーストリアと同じ文化だな、と歴史を振り返る。

ニューヨークカフェのサンド
ニューヨークカフェのカフェオレ
ニューヨークカフェのケーキ

 値段は少々高め(結局、ブダペスト滞在中、もっとも高い食事となった)だったけれど、日本での外食を思えばそれほどでもないし、何より、この満足感。ピアノの生演奏も聴けたし。

 疲れも癒されて、意気揚々と宿へ向かう。

 

 地下鉄の駅はどこも改札がないけれど、エスカレーターの乗り口に駅員が数人立っていて、券を見せろと言って来る。日付の部分をうっかり隠して見せたりすると、もう一度、とにこりともせずに要求される。

 どの駅にもそういう係りの人がいるのが不思議。だったら改札作れば良いのに、と思わないでもない。

駅員さんはちょっと怖い。なんだかみんな体も厳ついし。と思っていたけれど、あるとき道を聞いたら、わざわざ一緒に階段を上って通りまで出て方向を示してくれた。強面だけどとっても親切。

 

 今日から宿泊予定のB&Bに向かう途中、一人の日本人女性と出会った。

 私たちが日本語で話しているのを聞いて思わず話し掛けたという。ウィーンとは違って日本人は多くないようだ。久しぶりに同郷(といっても国レベル)の人に会うと、テンションがあがる気持ちには覚えがある。

 

 宿まで案内してもらえることになり、その道中でも話が弾み、立ち話もなんだし、とチェックインした部屋にお招きする。とっていもコーヒーメーカーも付いていない部屋だったので、何もおもてなしはできなかったけれど。

 

 ベッドやら椅子やらに腰掛けて、旦那さんの赴任に伴ってやってきたとか、日本では見ないけどとっても美味しい果物の話とか、お勧めの温泉とかで盛り上がっているうちにあっという間に時間が過ぎ去った。素敵な一期一会。

 彼女に別れを告げて、日が暮れる前に街へ出かけることにする。

 地下鉄に乗ってドナウ川を潜り抜け、やって来たのは川の東側、ペスト地区。地上へ上がってまず目に飛び込んで来たのが国会議事堂。大きすぎて写真1枚にはとても収まり切らない。

ブダペストの国会議事堂

 その向かいには民族博物館。こちらも威風堂々の佇まいで、建物全体に施された装飾は圧巻。

 そこから北へ延びるアンティーク通りを目指して歩き出す。こじんまりしたお店をウィンドーショッピングするのも楽しいけれど、何より、目に入る建物がどれも圧倒的な存在感で、いくらシャッターを切っても追いつかない。

 建物自体は重厚でどっしりがっしりした印象なのに、ファサードやバルコニー、屋根を取り囲む手の込んだ装飾は繊細で、ごてごてしそうなのに嫌味になっていない。上ばかりではなくて、視線を下げると、歩道脇に思わず投函したくなる洒落たポストや、色褪せてよい味出している店の看板が目に飛び込んできたりして、旅の疲れも忘れて歩き回る。

 建物見物の最後に、ハンガリー・アールヌーヴォーの旗手といわれる、レヒネルの遺した郵便貯金局を見に行くことになった。近いはずの自由広場(この周囲もうっとりするような建物がぐるっと続いている)までやってきたが、どうもその建物が見当たらない。広場に立つ警備兵?も厳しい雰囲気だったけれど、もちろん、親切に道を教えてくれる。

ハンガリー・アールヌヴォーの旗手、レヒネルの建築

 郵便貯金局は広がり始めた影に埋もれるように、ひっそりと建っていた。入り口が面する通りの寂しさのせいか(明らかに裏通り)、観光名所とは思えない人気の無さか、知らなかったら素通りしそうな街の雰囲気と、絶対に見過ごすわけはない建物の異質さが対象的で強く心に刻まれた。今でも充分独創的、もっと言えば奇怪なその建築物は、100年前、建てられた当時の人々にはどう映ったのだろう。建築の素人からみれば、とても「建物」という範疇には収まりきらない。「芸術作品」としか呼びようがない。

ブダペストの夜景色

 そして一日を締めくくるのはブダ地区の王宮の丘から眺める夜景。地下鉄とバスを乗り継いで丘の上に降り立つと、藍色の空の下、ライトアップされたマーチャーシュ教会が幻想的に浮かび上がっていた。ドナウ川沿いに迫り出した展望台から対岸を臨めば、金の光に包まれる国会議事堂とくさり橋、本日歩き回った界隈を一望できる。世界遺産を独り占め、なんて気分に浸るには賑やか過ぎるけど、思わず興奮してはしゃいでしまうのは私たちも同じ。

 そろそろ帰ろうかとバス停を探していると、人が集まっている一角があった。手にボードを持った男性が近づいてくる。

「一緒に映って!」

と言うことらしい。同じく呼び止められたと思われる数十人の女性達。

 これはもしかして、バチェラー・パーティー(独身さよならパーティー)の一貫!?

 どうやらこのミッションは無言で遂行されなければならないようで、ボードとそれから激しいジェスチャーで集団の中へ引き入れられた私たちも口を閉じる。異国の地で見ず知らずの誰かの人生の1ページに残される私たちの姿は満面の笑みだったに違いない。周囲の女性達も微笑みながら、それぞれの時間へと戻っていった。

 その余韻は、夕食調達のため立ち寄ったスーパーでも、宿で遅い食事を取っている時にも、眠い目を擦りながらシャワーを浴びている時にも、ふわふわと体の中に漂っていて、穏やかな満足感に包まれながら一日が終わった。

ブダペストのマチャーシュー教会

オーストリア・スロヴァキア・ハンガリー旅行7日目 ブダペスト

7日目

 残念ながら朝から雨。気温も急激に下がり、はるばる持ってきたニットや上着が初めて活躍する。前日からは二十度近く温度差がある。

 まずは雨でも楽しめる中央市場へと向かう。雨のせいもあってか屋内のマーケットは大賑わい。ハンドメイドの刺繍や革製品、おもちゃといったお土産品から野菜や肉、チーズなどの食材まで所狭しと並んでいる。山盛りのパプリカは噂通り。肉屋で売られていた豚の顔にぎょっとさせられ、きれいに瓶に詰められたカラフルなピクルスは、カワイイに目がない女子(何歳でも)の心をつかむ。

ブダペストのマーケットで見つけたピクルス

 そうして、人へのお土産を買いに来たはずが、気がつけば一番高い買い物は自分に買った革のカバンだった。

 

 昼食も市場で取る。昨日までアイスにばかり目が行ったけれど、今日は温かいスープが魅力的。スタンドで購入したパプリカスープをみんなで分け合う。味はまろやかながらコクがあって美味しい。これで塩辛くなければ文句無しなのに。周囲の皆さんはごはんとメインがこれでもか、と山盛りのプレートを食べていて、もちろん完食。私たちは見ているだけでお腹一杯。

 

 それにしても今日は寒い。念のためにと持参したレインコートも着込んで首元までぴっちりスナップを止めたがまだ寒い。けれど私にとっては今日が観光最終日。寒さに挫けている場合ではないと、ガタガタ震えながらも工芸美術館へ向かう。

 昨日の郵便貯金局と同じくレヒネル作の20世紀初めに建てられた建物。雨空のため折角の鮮やかな色使いはくすんで見えてしまうものの、その特異なデザインは目を引く。陶器のタイルでびっちりと飾られた屋根や天井は圧巻。装飾の賑やかさは好みの分かれるところかもしれないが、その独創性は文句のつけようがない。

レヒネルの建築

 建物の全景を撮ろうと道路を渡った所に、偶然、ビーズ屋があった。現地の女性たちに混じって、ここ数年ビーズに嵌っている母も真剣に選び始める。私たち、娘三人もそれぞれ自分のアクセサリ用に選ぶことにする。もちろん私は端から自分で作る気はなく、母に注文を出すつもり。

 

 昼食からろくに休んでいなかったので(そもそも昼食はスタンドで取っていたし)ビーズを選び終わる頃には疲労も限界だった。そのビーズ店から1番近かったという理由だけで選んだイタリアンの店でお茶にする。

 中が窺い知れない重厚なドアを恐る恐る開けると、客は一人もいなかった。机の上にはフォークとナイフ。カフェではなくて正式なレストランという雰囲気だったけれど、笑顔で向かえ入れてもらえたし、何より疲れ果てていたので、とにかく席に着く。もちろん、イタリアンレストランなのでコーヒーはあるはず。私はこの旅、何回目かのカフェマキアートを注文。

 どこで飲んでもコーヒーは美味しい。そしてやはりホットでも首の付いたグラスで出てくる。店内は暖かく、アットホームな空気が漂っていたので他に客はいなくても気まずい雰囲気は全くなくて、その上トイレがきれい。更に更にウェイターが親切!

 次の目的地までの行き方を尋ねると、雨の中外へ出て、私たちが向かうべき方向を指してくれた。そして当然、ドアを開けたまま、私たちが店を出るまで待っていてくれる。強面だけど、笑顔の素敵な彼に教えられたとおりにトラムに乗ったはずが、行きたい方向と反対だったことに気がつく。身振り手振りで懸命に教えてくれたのに。出来の悪い生徒たちで申し訳ない。

 私たちが目指したのはバーツィ通り。それは朝に散々うろうろした中央市場の目の前から始まっていた。振り出しに戻る・・・。

ブダペストの中央市場

 立ち並ぶ建物がずっしりと歴史の重みを伝えて来るその通りは、雑貨屋や土産物屋が続いていてウィンドーショッピングに最適、天気さえ良ければ。それでも足を踏み入れた店でセンスの良い小物を見つけたりすると、一瞬、雨に濡れて重くなった心も体も軽くなる。スロヴァキアでは行きそびれた本屋にも立ち寄った。日本文化を紹介する絵本に目が留まる。日本人の作品だから私たち(日本人)のカワイイセンサーが働いても不思議じゃないか。

 そろそろ夕食、と思ってレストランを探し始めるものの、探すと意外と見つからない。迷ったら初心に帰れ。で、宿に戻ることにする。

 受付のお兄さんにオススメの店を聞いてみる。タクシーで5分ほどの住宅街にあるハンガリーレストランを紹介された。行きのタクシー代は店が持ってくれるということで、タクシーで乗り付けると、英語はやや怪しい店員が、お待ちしてました!と笑顔で迎えてくれた。観光スポットからは離れているし、雨は降っているし…。というわけで店は貸切。

 そりゃ待ち構えてるよな。

 

 どうせ食べ切れないと開き直り、4人でスープ2種類、メイン料理2種類を頼む。もちろん、ワインも。赤と白をテイスティングさせてもらう。気前よく注がれて、ティスティングだけで酔っ払ってしまいそう。結局、両方を1グラスずつもらうことにした。これがこの旅で飲んだワインの中で(数えるほどだけれど)ピカイチだった。

 ハンガリー料理は普段馴染みがないため注文に悩み、説明を求めたけれど店員さんが英語にギブアップ。ハンガリー語ならわかるんですが…。そりゃそうだよとお互いに苦笑。結局スープは鯉と鯰、水牛のスジが入っていると思われるものを注文。

 鯉と鯰は泥臭い味がする穴子のような感じで、しっかりした味のパプリカスープによく合っていた。牛すじもよく出汁が出ていてスープ自体は美味しいしけれど、中の野菜に塩が効き過ぎてたくさんは食べられない。それからメイン料理。チキンのパプリカ&チーズソースのチキンはとても柔らかく、食べやすい味付けだった。続いて海老のパスタ。こちらはややスパイシーなパプリカソース。濃厚なのにしつこくなくて、食が進む。そしてサラダの欄に載っていたのは、市場でも散々見たピクルス。せっかくなのでミックスを頼んでみる。とてもまろやかで、お酢特有のつんとくる刺激は全くない。

 最後はガトーショコラをみんなで分け合い、カフェラテでいただく。途中、知り合いらしい女性がふらりとやってきたが、ほぼ貸切のままの穏やかな夕食となった。

パプリカを使用したハンガリー料理
パプリカを使用したハンガリー料理
パプリカを使用したハンガリー料理

 店員さんは英語に苦労しながらも(そうとわかっていながら、思わず色々聞いてしまった)、必死で私たちの要望に応えてくれて、彼の人柄が店の雰囲気にも滲み出ているようで、とても寛げる店だった。終日天気が悪く、気温も低くて、旅の疲労もピークだったけれど、終わり良ければ全て良し!(Ezust Fenyo Etteremというお店だったが、改めて調べてみると、今はオーナーが変わってしまったようだ。)

オーストリア・スロヴァキア・ハンガリー旅行8日目 ブダペスト → 成田

8日目

 何時の間にか、旅が終わろうとしている。感傷に浸る間もない。
 タクシーを頼んだので(宿のお兄さんにお願いしていたので今回は安心)、朝食を楽しむ時間があったことがせめてもの慰め。特に一人、先に帰路に就くとあって、名残惜しい気持ちも一入だった。


 空港までの道すがら、工芸美術館の前を通り過ぎた。(というより、空港まで一直線に続く道の途中にそれが建っていた。)
 天気が良いので昨日より鮮やかな姿を見せていることに嬉しくなってドライバーに告げるが、彼の反応は今ひとつ。毎日見ていれば、確かにそんなものかもしれない。けれどその後も、私のつぶやきに付き合ってくれた。素敵な街並に感激したことを伝えると、そんなことないよ、と返ってきた。謙遜というわけではなさそうだ。
「この百年で、車が走り回るようになって、排ガスのせいですっかり建物が黒ずんでしまった」
 そう言いながら、諸悪の根源のハンドルを握る彼。その表情は窺うことができなかった。

 

ブダペストの建物

 私はというと、ウィーンからブラチスラヴァ、ブラチスラヴァからブダペスト間のタクシー移動は色々あっただけに、旅の最後の車中、穏やかな気持ちで過ごせるだけでも、自然と笑みが零れてしまう。
 空港へはドライバーの予言通り35分で到着。
 2Aターミナル出発と聞いていたのでそこに着けてもらったが、確認すると2Bからで、最後の最後でまた焦る。歩ける距離で良かった。
 セルフチェックインしたので時間的には問題なかったけれど、荷物を預けるカウンターのお姉さんが恐ろしく愛想がなかった、というのは控え目すぎる。凄まじく虫の居所が悪かった様子で、慣れたはずの手続きに動揺してしまった。無事に出国ゲートを潜ると、旅の終わりを否応なしに感じさせられる。
 
 街並や人との出会いも忘れ難いものだけれど、これほど食事に満足できるとは予想していなかった今回の旅。その辺のパン屋で買ったパンも、ふらっと入ったカフェのコーヒーも、由緒正しいレストランもお腹と心を満たしてくれた。道中のいざこざもハプニングも終わってみれば旅を彩るエッセンス。いつも以上に賑やかな旅となった分、日常に戻る寂しさが押し寄せてくる。それを紛らわせる方法はただ一つ。次の旅先を考えるしかない。次はどこを旅しよう・・・。
 
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 長々、ウィーンからブダペストまでの旅にお付き合い下さり、ありがとうございました。
 どこも素敵でしたが、文化もグルメも街歩きも楽しみたい欲張りな方にはウィーンとその周辺を、「観光地」という雰囲気を避けて徒歩で歩き回って、小さいお店を覗いたり、カフェでゆっくりしたりしたい場合はブラチスラヴァを、建物を写真に収めながら街歩きするならブダペストをお勧めします。
 ぜひ、あなただけの旅を見つけてみて下さい。

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